村井 聡

組合せ数学講座

Murai Satoshi

組合せ数学講座

准教授 村井 聡 Murai Satoshi

組合せ数学講座 村井 聡1982年大阪府箕面市生まれ。
幼少の頃は阪大のすぐ近くに住んでいて、待兼山は遊び場の一つだった。
2000年に大阪大学理学部数学科入学。
2008年に情報基礎数学専攻博士後期課程修了。
山口大学に4年半勤めた後、2014年に大阪大学に着任。

教員メンバーでは唯一の情報基礎数学専攻修了生ということなので、学生時代の話を中心に、自分がどういう風に数学に接して来たのかを述べてみることにしよう。

大学に入るまで

こういう仕事をしていると、子供の頃から数学が得意だったんですか?とか、数学が好きだったんでしょう?と聞かれることが多い。面倒なので適当に話を合わせてYesと答えることにしているのだが、実際はそうでも無かった。卒業高校は大阪の中堅の私立の進学校だったが、数学の成績は二番手集団くらいに位置していたし、そもそも数学より物理の方が得意だった。実は、理科実験が嫌いで、阪大の数学科は入学してから一切実験をすることなく卒業できる!というのが阪大の理学部数学科を選んだ最大の理由である。(残念な事に、今では数学科でも実験の授業が必修になっている。)また、一時期は学業が振るわなかった時期もあって、偏差値が30を切ったこともある。その頃は将来学者になるなどとは夢にも思わなかった。

大学での数学

2000年ぴったりの大学入学である。学生諸君の記憶にあるかどうかわからないが、2000年というのは区切りの年だけあって、世紀末的な話題で盛り上がった。最も有名なのは、1999年に人類は滅亡する、というノストラダムスの大予言だろう。また、2000年問題と呼ばれる、古いコンピューターが2000年を1900年と認識して誤作動を起こし、社会に深刻な被害をもたらす可能性がある、という話も出て、大予言との相乗効果で随分と話のネタになった。結局の所、大きな問題は起きなかったようであるが、年号が切り替わる瞬間には私もハラハラワクワクしながらテレビに向かっていた。

少し学部生の時の話をしておこう。私は数学の問題を解くのは好きだが、理論を勉強して知識を身に付けるのは苦手、というよくいるタイプの学生だった。学部で学ぶ数学の目的は、専門的な数学を学ぶ為の基礎知識を身に付ける事だから、正直な所、学部の時の数学はあまり楽しくなかった。特に、2年次以降に身に付けさせられる数々の抽象数学に嫌気がさし、3年次の終わりには数学に対する興味はすっかり無くなっていた。

4年生になるとゼミに入らなくてはならない。その頃にはすっかり数学には絶望してしまっていたが、3年で学んでいた数学で唯一興味が持てたのが、有限群の分類の演習問題だった。シローの定理等を駆使して位数の小さい群を分類するのはパズル的な楽しさがあって今でも好きなタイプの演習問題である。今考えると安直な選択だが、ゼミの第一希望はその時群論の授業を担当されていた宇野勝博先生に出した。しかし、宇野先生は翌年から大阪教育大に異動で、第二希望の日比先生のゼミに入ることになる。

この頃すっかり数学には絶望してしまっていた私だが、ゼミに入って気持ちは大きく変化する。ゼミで使ったテキストは

D.コックス, J.リトル, D.オシー:グレブナー基底1,2(シュプリンガー)

だが、これがアタリだった。このテキストは、中身の殆どは計算方法の解説と(膨大な量の)演習問題という、教科書風問題集とでも言うべきテキストだった。ゼミというのは、テキストの内容を自分なりに理解して来てそれを先生の前で発表する、というのが一般的な形なのだが、我々のゼミは、演習問題を片っ端から解いてきてその解答を延々と前で発表する、という感じだった。数えてみると一年ちょっとで250題くらい演習問題を解いていたようである。これだけ演習問題を解いて毎週発表すると相当達成感がある。特に、次々と問題が解けていくのが嬉しくて、ゼミが始まるとすぐに数学が楽しくなって来た。

演習問題が解けないと何も進まないので、とてもゼミ用としてお勧めできるテキストではないが、普通のテキストを使っていたら数学に絶望していたままだったかも知れない。偶然ではあるが、このテキストを読むことになったのは大変幸運だった。

修士論文に関わる話

組合せ数学講座 村井 聡ここからは修士課程に進学してからの話をしよう。修士課程での大きな目標は修士論文を書く事である。分野や大学によって差もあるが、一般的には半年から一年半くらいかけてテキストや英語の論文を読み、修論のテーマを決め、自分の研究を始める。ただ、博士課程進学者は早めに論文を書いておくことが望ましい。私の場合も進学の可能性が考慮され、M1の5、6月に論文が書けそうなテーマを一つ貰って早々に研究を始めることになった。研究内容は“Gotzmannの永続定理”という定理に関連するもので(詳細は情報科学研究科賞のページに譲る)、この研究テーマで夏休み前までに二つ結果を出す事ができ、それを一本の論文として纏める事になった。

大学院を卒業するだけなら、修論は指導教官に認められればだいたいOKである。しかし、研究者になる場合は、書いた論文を学術雑誌に投稿し、査読を通って掲載してもらうことで初めて自身の研究業績となる。当然、私も書いた論文を雑誌に投稿したわけだが、ここで早速数学者としての洗礼を受ける。査読の結果が返ってきたのだが、なんと、二つ作った定理のうちの一つがとある論文で既に証明されている、というのである。慌てて紹介された論文を調べてみると確かにその通りで、頑張って証明したことも水の泡になってしまった。研究者としての第一歩を踏み出そうとしたところでいきなり躓いてしまったわけである。しかし、ここから巻き返しを計る。実は、この時の査読のレフェリーはとても親切な人で、報告書の最後に「証明方法は新しいので、この方法でGotzmannの永続定理の別証明を考えれば面白いのではないか?」と提案してくれていた。確かに、自分の証明から簡単に別証明を与えることができたので、論文を“残っていたもう一つの定理”と“永続定理の別証明”の二つの論文に分けて新たに雑誌に投稿し、どちらも無事修士の間に受理されることとなる。この二つの論文を纏めたものが私の修論である。

実は、この話には続きもあって、この時のレフェリーに紹介された論文を切欠に、2年後にもう一本論文が書けることになる。1本論文がダメになった代わりに3本論文ができたわけだから、結果的にはとてもラッキーだった。

組合せ数学講座 村井 聡 論文組合せ数学講座 村井 聡 論文

修論: 論文といっても、右のような簡単な絵を書いて、後は二項係数の計算をするだけの簡単な結果です。

研究の開始

博士課程に進学するかどうかはずいぶんと悩んだ。研究職への就職が大変厳しいことは周知の事実だったし、進学とは言っても、この年になると自分の食い扶持は自分で稼ぐ必要がある。DC1やDC2(国の博士進学者支援制度)に採択されればお金の心配は無いのだが、採択率は当時は十数%で、採択者の大部分は京大・東大の学生であるから、あまりアテにはできない。そもそも自分は偏差値30の男である。研究職を目指すなどというのは本来想定の範囲外であった。しかし結局は、既に修論の結果も出ていたこともあり、M1の夏頃に大博打に出るつもりで進学を決める。

進学を決めた後、代数(可換環論)の組合せ論への応用を中心に研究することになり、Gil Kalaiのサーベイ

Gil Kalai: Algebraic shifting, Computational Commutative Algebra and
Combinatorics( Advanced Studies in Pure Mathematics, vol. 33), 121-163

を読む。初学者にとっては、結果を証明すること自体よりも、論文が書けそうなネタを探すことの方がずっと難しい。このサーベイには、定理の証明などの理論的な事は殆ど何も書いていないのだが、その代わり未解決問題や予想が50個も載っている。一問解けば一本論文が書けるから、全部解けば理論上は50本論文が書ける!というネタの宝庫だった。実際には、問題の大半は解けそうに無いものばかりなのだが、50個もあれば2、3個は解けるものもあるだろう、と思って、このKalaiの問題集の中で解けそうな問題に手をつけ始めたのが自分の研究の出発点となった。50本の論文は書けなかったが、修士の間に3つ問題を解いて3本論文を書いた。これに、2本の修士論文と指導教官との共同研究の論文数本が加わったので、修士の学生としては十分な研究成果であろう。

博士課程に進学してから

組合せ数学講座 村井 聡幸いなことにDC1に採択され、博士課程の間は経済的な問題の心配は無くなった。学位論文は出版されている論文の中から適当に選ぼうという話になったので、博士課程の間の研究テーマを指導教官と真剣に話し合った記憶は無いのだが、状況から察するに“g-予想”と呼ばれる球面三角形分割の面の個数に関する予想が提案されたテーマだったのだと思う。しかし“これが解ければ後は一生遊んで暮らせる”などとも言われていたので、どこまで本気だったのかは不明である。いずれにして手が出せそうな問題でもなかったので、日比先生には申し訳なかったが、博士課程在学中は、指導教官ご推薦のこの問題は放っておいて、自分で好き勝手に研究していた。

すいぶんとお世話になったKalaiの問題集もそろそろネタ切れで、新しい問題を探していたのだが、2006年に偶然lex-plus-power予想と呼ばれる可換環論の予想についての論文(当時はpreprintだった)

J. Mermin, I. Peeva, M. Stillman: Ideals containing the squares of the variables, Advances in Mathematics 217( 2008), 2206-2230

を読んだ折、その中に書いてある未解決問題が初等的な方法であっさり証明できることに気付き、その流れでしばらくlex-plus-power予想に関する研究を進める。最終的には、当時中心的に研究されていた単項式の場合に予想が解決できたのだが、結局証明は初等的な方法しか使わなかった。この頃学んだのは、意外と初等的に解ける問題は沢山あるので、若い時はとにかく手を動かして計算してみることが大事、という事である。

2008年に学位を取り、それから暫くポスドクをやっていた。学位取得後本当に職が見つかるかどうかはとても心配だったのだが、就職時期がちょうど団塊の世代の定年退職の波に重なる幸運もあってか、2009年10月に山口大学理学部数理科学科で講師として雇って貰えることが決まった。

山口大学に入って

もし、人生で一番楽しかった時期は何時だったか?と聞かれたら、迷うことなく、山口大学時代と高校時代と答えるだろう。職に就けたことで将来に対する不安からは一気に解放されたし、若い間は雑用も少ない。この仕事は就職するまでは苦難の道程であるが、大学に就職できれば大抵気楽で楽しい生活が待っているのだ!

 話は変わるが、山口大学の数理科学科には“数学工作倶楽部”という、数学関係の模型を作る活動がある。これは教員の廣澤史彦先生という方が学生と一緒にやっておられる活動だが、私も学生に混じって結構参加させてもらった。百聞は一見に如かず、ということでちょっと作ったものの写真を載せておこう。

工作作品色々:左の方の菱形多面体系は京大の塚本靖之さんに教えてもらったものが原案

工作作品色々:左の方の菱形多面体系は京大の塚本靖之さんに教えてもらったものが原案。
        それ以外は工作倶楽部で作成。

詳しく知りたければ山口大学理学部のHPを見てみると良い。この活動の経験を活かして(?)研究集会での発表で模型を使ったこともある。下の写真は2012年のMSRIでの集会で一般下限定理という定理について講演している時に模型を使って説明している様子。

組合せ数学講座 村井 聡

研究内容と所属の学生に学んで貰うこと

少しくらいは自分の研究内容のことも書いておこう。主な研究対象は、多項式環の単項式イデアル(代数の話)と多面体やセル複体の面の個数(組合せ論の話)で、特に、スタンレー・ライスナー環という、面の個数を単項式イデアルの理論を使って調べる手法があり、その周辺で解けそうな問題を何でも調べている。最近やっていた研究は次のような感じである。

  • 多様体の単体分割の頂点の個数や面の個数を調べる研究
  • 凸多面体の面の個数や、凸多面体の三角形分割の研究
  • 半順序集合の鎖の数を調べる研究

少なくとも何かの個数を調べるのが主な研究内容という事はわかって貰えるだろう。

今の所、所属した学生には組合せ論の勉強をして貰う予定である。代数の勉強をしてもらう予定はないので、所属希望の学生に前提知識は何も要求しない。以前の職場では、多面体・数え上げ・線形計画法、といった組合せ論や応用数学の話題を勉強して貰った。

最後に

私は本格的に数学を始めてまだ10年くらい。これからやってみたい数学はまだまだ沢山ある。とりあえず大学院を卒業したい、という学生も大歓迎であるが、私と一緒に新しい事を勉強してみたい、という意欲ある学生も是非来て欲しい!

略歴

  • 2008年 大阪大学 博士(理学)
  • 2008年 大阪大学 日本学術振興会特別研究員(PD)
  • 2009年 京都大学 日本学術振興会特別研究員(PD)
  • 2009年 山口大学 講師
  • 2013年 山口大学 准教授
  • 2014年 大阪大学 准教授

連絡先

  • E-mail : s-murai@ist.
  • Tel : 吹5899 (06-6105-XXXX)

4ケタの電話番号は、大阪大学での内線番号です。豊と表記されたものは(市外局番 06)6850、吹と表記されたものは(市外局番 06)6879 に続けてダイアルすることで大阪大学外からもダイアルインでかけることができます。 ただし,吹(内線)と表記されたものは,大代表(06)6879-5111にかけてください
メールアドレスは、末尾の”osaka-u.ac.jp”が省略されていますので、送信前に”osaka-u.ac.jp”を付加してください。

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