日比 孝之

組合せ数学講座

Hibi Takayuki

組合せ数学講座

教授 日比 孝之 Hibi Takayuki

組合せ数学講座 日比 孝之名古屋大学理学部数学科卒業。
理学博士(名古屋大学)。
専門は計算可換代数と組合せ数学。
名古屋大学に5年6ヶ月、北海道大学に4年6ヶ月在職した後、1995年、大阪大学に着任。
趣味は散歩、楽しみは海外渡航、愛読書は『白い巨塔』である。

1956年、名古屋に生まれる。1975年、名古屋市立向陽高等学校卒業。私の母校はどこにでもある公立の高校であり、東大・京大合格者数の高校別ランキングなどにその名前が載ることは滅多にない。しかし、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授の出身高校である。

数学者に憧れを抱いたのは、高校2年生の冬だった。現役のとき、名古屋大学理学部を受験。物理で撃沈し、理学部には不合格、けれども、第2希望の農学部は合格。少なくとも、母校の名大合格者数には貢献できた。翌年、再挑戦し、理学部に合格。

1981年、名古屋大学理学部数学科卒業。専門は、計算可換代数と組合せ数学。と言っても、本専攻案内の主たる読者層は学部学生だから、どんな研究をしているかはわからないと思うから、研究分野の紹介とともに、そのような研究分野を選ぶことになった経緯を、私が学部学生、大学院生であった頃を回顧しながら語ることにしよう。

数学科の2年生の秋、街の本屋さんで、偶々、

[1]永田雅宜『可換環論』(紀伊國屋書店、1974年)

が目に留まった。何となく魅惑を感じ、購入。私が、やがて、可換環論に興味を持つ切っ掛けとなる。代数学の伊呂波も知らなかった私が購入する衝動に駆られたのは、恐らく、著者の永田雅宜教授が名古屋大学理学部数学科の出身であったからだろう。購入したものの、全然読めない。しかし、いかにも数学書という風格に満ち、本箱を飾るには相応しかった。

数学科の4年生のときの指導教官は松村英之教授。権威ある代数幾何の教科書

[2]Robin Hartshorne, “Algebraic Geometry,” Springer–Verlag, 1977.

を輪読した。スキーム論を齧(かじ)ることぐらいはできた、と記憶している。

私が学部学生だった頃、数学専攻の大学院に進学することはとても困難な厳冬の時代。100名以上が受験し、合格者は4、5名などという凄まじい状況のときもあった。数学科の4年生(1979年)の9月、名大院の数学専攻を受験したが、入試問題は全く解けず、不合格。翌年(1980年)の9月、再挑戦するも、惨敗。私の数学者への夢は儚はかなくも消滅。けれども、1981年2月、広島大学が数学専攻の二次募集をしたのでそこを受験、馴染みのある問題ばかりが出題され、運良く合格。

1981年4月、広島大学大学院に入学。当時、広島大学理学部数学教室はとても活気に満ちていた。京大、阪大、名大など、各地の大学院入試に落ちた院生が集まっていたからだ。今は東広島市に移転してしまったが、その頃の理学部は広島市の中心部から徒歩10分のところにあり、歓楽街へも徒歩10分。何をするにも便利だった。

今でも忘れはしないが、修士(博士前期)課程1年の秋も深まりつつある頃、

[3] Richard Stanley, The upper bound conjecture and Cohen–Macaulayrings, Stud. Appl. Math. 54( 1975), 135–142.

に巡り会い、一晩で読んだ。可換代数の抽象的な技法を組合せ論の具象的な問題に劇的に使う、という話で、可換環論に馴染みがあれば、さっと読める。Stanley の論文を読んだときに覚えた深い感銘は、私が組合せ論の研究者を志す契機となった。

大学院に進学したとき、私は24歳。もし博士後期課程まで進み、5年経過したとし、その段階で就職できなければ、やがて30歳。そうなれば、経済的に苦しい状況に追い込まれる、と思い、大学院生のときには一生懸命アルバイトをして、せっせと貯金を貯めた。某予備校で講師をやっていたが、予備校の講師は、人気がでると、時間給は爆発的に増大する。駆け出しの頃、50分2800円だったのが、3年後には50分8000円になった。結局、広島には4年間住んだが、500万円の貯金ができた。30年も昔の500万円ですぞ!博士後期2年の秋、名大の松村英之教授から名大の助手にならないか、との嬉しい誘いを頂戴した。名古屋大学理学部は大学院には合格させてはくれなかったけれども、助手には採用してくれたのだ。

組合せ数学講座 日比 孝之1985年4月、名古屋大学理学部助手。そうすると、就職できないと困ると思ってせっせと貯めた500万円はもはやいらない、ぱっと使うことができる。そのすべてを海外渡航のために使った。1985年8月、日米セミナー「可換環論と組合せ論」が京都で開催され、Stanleyが来日し、彼と知り合いになり、やがて、MIT(マサチューセッツ工科大学)の数学教室に一年間滞在することになる。右の写真は、1985年8月、京都で撮影された。Stanley(41歳)、筆者(28歳)である。MITに滞在する際、 旅費と滞在費の援助をいろんな財団などに申請したが、いずれも門前払い。結局、すべて自費、ということになり、このときにさきほどの500万円を使った。名大には5年6ヶ月勤務したが、助手には何の雑用もなく、とても恵まれた研究環境であった。

1990年10月、北海道大学理学部数学教室に赴任。北国のとても美しい街、札幌、そこに4年6ヶ月住んだ。1991年11月から1992年1月、オーストラリアのシドニー大学に滞在した。このとき、可換代数と組合せ論の連続講義をしたが、そのときの講義ノートに少し加筆したものが

[4] Takayuki Hibi,“Algebraic Combinatorics on Convex Polytopes,”Carslaw Publications, Grebe, NSW, Australia, 1992.

である。講義で板書したものをほとんどそのまま単行本にしたようなものなので、荒っぽい、誤植がとても多い、など難点は多々あり、教科書としての体裁は整ってはいないが、反面、当該分野の発祥の地を迅速に散策できる。類似の内容ではあるが、教科書としての体裁を整えた和書が

[5]日比孝之『可換代数と組合せ論』(シュプリンガー東京、1995年)

である。恩師、松村英之教授が[5]の書評をすることになっていた。書評の原稿のしめきりは1995年7月末日だったとのこと。けれども、彼は、原稿を完成することなく、8月上旬に登山し、不幸にして、山の事故に遭い他界された。残念ながら、私は、恩師の批評を聞くことはできなかった。

可換代数と組合せ論とは、凸多面体の組合せ論に現れる数え上げの問題を可換代数の技巧を駆使して解く、というシナリオを持つ研究領域のことで、Stanley の仕事[3]がその源である。たとえば、凸多面体のオイラーの公式 v – e + f = 2 は組合せ論に現れる数え上げの顕著な例である。その他、ピックの公式「平面上に頂点が整数点である多角形があったとき、その多角形に含まれる整数点の個数を a とし、その多角形の内部に含まれる整数点の個数を b とすると、その多角形の面積は (a + b – 2) / 2 である」も凸多面体の組合せ論に現れる数え上げの例である。オイラーの公式にしても、ピックの公式にしても、可換環論とどうやって結びつくのか、と疑問に思うが、頂点、辺、面とか整数点の数え上げを、単項式の数え上げに置き換えると、多項式環のイデアルの問題に帰着する。

1995年4月、大阪大学理学部数学教室に着任。翌1996年、全くの偶然であるが、大杉英史君(現、関西学院大学理学部教授)の指導教員をすることになった。その頃、私はグレブナー基底について興味を覚え始めていたので、大杉君にちょっとやってみないか、と薦めた。ちょうど、

[6] Bernd Sturmfels,“Grobner Bases and Convex Polytopes,”Amer.Math. Soc., 1995.

が出版されたところだったので、大杉君と一緒に勉強することにした。

グレブナー基底とは、多項式環のイデアルの生成系のなかで際立って良い振る舞いをするものである。イデアルの諸問題を扱うとき、グレブナー基底が計算できれば有難い。たとえば、多項式環の2つのイデアルの共通部分を計算することは、イデアル論の演習問題としてはとても難しいが、グレブナー基底を計算すれば瞬時に計算できる。しかも、イデアルの一つの生成系から出発して、そのイデアルのグレブナー基底を計算するアルゴリズムも知られている。その他、グレブナー基底は凸多面体の三角形分割とも密接に関係し、凸多面体の組合せ論の研究にも有益な道具である。

大杉君と一緒にグレブナー基底の勉強を始めた頃、私は、どのようにグレブナー基底の研究を進めるか、という具体的な戦略は全くなかった。けれども、ひょっとすると、宝の山かもしれない、との予感はあった。大杉君は、修士1年の夏期休暇が終わった頃、一つの興味深い凸多面体の例を発見した。小さな問題の反例で、まあ、そんな例もあるだろうなあ、と思っていた。しかし、半年後、私がバークレーの数学研究所(MSRI)に滞在したとき、三角形分割のプログラムを使って大杉君の凸多面体の三角形分割を計算したところ、とんでもない貴重な例であることがわかった。大杉君の凸多面体は、三角形の個数がもっとも少ない三角形分割と、三角形の個数がもっとも多い三角形分割は、両者とも非正則、というものである。そのような例は、今日でも、大杉君の例が唯一の既知なもので、代数幾何などでも重宝である。この例の発見によって、大杉君と私のグレブナー基底の共同研究の戦略は完全に決定し、以後、大杉君が阪大を離れるまで、毎年、3~4編の共著論文を執筆することができた。今日、グレブナー基底を計算するソフトはたくさんあるけれども、グレブナー基底を“素手”で触さわることについては、世界でも、大杉君が第一人者である。

組合せ数学講座 日比 孝之一般に、大学院生の研究課題を選ぶとき、指導教員がいままで研究してきた跡に沿った研究課題を選ぶと指導する教員も、指導を受ける大学院生も楽ではあるが、それは守りの姿勢である。今から!と思う研究課題に挑戦し、大学院生と一緒に研究を推進する、という攻めの姿勢が、私は好きだ。 グレブナー基底の基礎理論を簡潔に解説するとともに、大杉君との共同研究の一部を紹介したものが

[7]日比孝之『グレブナー基底』(朝倉書店、2003年)

である。

2002年4月、情報科学研究科が発足し、情報基礎数学専攻が誕生した。2004年4月に修士課程に進学した村井聡君(現、本専攻准教授)は、4年間で19本の論文(驚異的な論文数!)を執筆し、博士後期課程2年の終わり(2008年3月)に期間短縮で学位を取得し、2008年度日本数学会賞建部賢弘奨励賞を受賞している。2009年4月に修士課程に進学した東谷章弘君(現、京都産業大学理学部助教)も、3年6ヶ月で16本の論文を執筆し、博士後期課程2年の途中(2012年9月)に期間短縮で学位を取得し、2012年度日本数学会賞建部賢弘奨励賞を受賞している。私は、修士課程のなるべく早い段階で、院生が自分独自の定理を創り、論文を執筆することがとても大切だと思っており、そのように指導している。論文を執筆しながら知識を習得することが理想的である。

私は、国際会議を組織することがとても好きだ。1999年7月、阪大の豊中キャンパスに於いて、日本数学会の国際研究集会「計算可換代数と組合せ論」を組織した。Richard StanleyとJurgen Herzogら、欧米諸国から著名な研究者が多数参加し、盛大な研究集会となった。その後、2005年8月、立教大学に於いて、日本学術振興会の国際研究集会「グレブナー基底の理論的有効性と実践的有効性」を開催し、海外からグレブナー基底の専門家を招聘した。その翌年(2006年4月~2007年3月)は、京都大学数理解析研究所のプロジェクト研究「グレブナー基底の理論的有効性と実践的有効性」を実施した。

Jurgen Herzog氏と阪大赴任後、Jurgen Herzogとの共同研究が始まり、現在も継続しており、共著論文は30余編を越える(と思う)。Jurgen Herzogは、74歳、7年前に退官しているが、今でもドイツの可換代数の権威者であり、欧州における、彼の影響力は健在である。彼との共同研究を基礎に、単行本

[8]J. Herzog and T. Hibi, “Monomial Ideals,”GTM 260, Springer, 2010.
(右の写真は、そのテキストの裏表紙に掲載されている。)

を出版した。執筆に費やした期間は約4年間である。

2008年10月、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業 CRESTのプロジェクト研究「現代の産業社会とグレブナー基底の調和」(通称、日比プロジェクト)が開始された。研究期間は2014年3月までの5年6ヶ月。研究費の総額は2億5千万円である。若手研究者育成の一環として、神戸大学で「グレブナースクール」を開催し、そのテキストとして、

[9]JST CREST 日比チーム編『グレブナー道場』(共立出版、2011年)

を出版した。プロジェクト研究では、多項式環と微分作用素環のグレブナー基底の理論と計算を飛躍的に深化させ、理論と応用と計算の有機的な連携から、純粋数学の範疇を越え、統計学の根幹に劇的な変革を導くことに成功している。その変革は、大規模な計算を可能にするアルゴリズムの進化と相俟って、統計学を不可欠とする現代の産業社会と先端科学の諸分野に広範な波紋を及ぼすことが期待されている。

グレブナー基底の創始者 Bruno Buchberger と日比プロジェクトの終了後、ポスト日比プロジェクトとして、科学研究費補助金(通称、科研費)基盤研究(S)「統計と計算を戦略とする可換代数と凸多面体論の現代的潮流の誕生」(平成26年度から30年度)が採択された。その科研費の研究活動の一環とし、2015年7月1日から10日、ホテル日航大阪に於いて、第8回日本数学会季期研究所(MSJ SI 2015)「グレブナー基底の50年」が開催された。右の写真は、バンケットの折の写真である。グレブナー基底の創始者 Bruno Buchberger と筆者である。

更に、平成28年度は、再び、京都大学数理解析研究所のプロジェクト研究「グレブナー基底の展望」が実施される。

組合せ数学講座は、数学の講座としては、全国的にも類希な、所属学生数の多さを誇る。下記の写真は、(ちょっと昔の写真であるが)平成26年度の講座の記念撮影である。平成28年度のメンバーは、教員6名(私、村井聡准教授、特任助教4名)、学部4年13名、修士1年9名、修士2年5名、博士1、2、3年が、それぞれ、2名、1名、1名の総数37名である。

Jurgen Herzog氏と

略歴

  • 1981 年 名古屋大学 理学部 卒業
  • 1985 年 名古屋大学 理学部 助手
  • 1990 年 北海道大学 理学部 講師
  • 1991 年 北海道大学 理学部 助教授
  • 1995 年 大阪大学 理学部 教授
  • 1996 年 大阪大学大学院 理学研究科 教授
  • 2002 年 大阪大学大学院 情報科学研究科 教授

連絡先

4ケタの電話番号は、大阪大学での内線番号です。豊と表記されたものは(市外局番 06)6850、吹と表記されたものは(市外局番 06)6879 に続けてダイアルすることで大阪大学外からもダイアルインでかけることができます。 ただし、吹(内線)と表記されたものは、大代表(06)6879-5111にかけてください
メールアドレスは、末尾の”osaka-u.ac.jp”が省略されていますので、送信前に”osaka-u.ac.jp”を付加してください。

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